鳥見の霊畤鳥見の霊畤

先ずはじめに、霊畤(れいじ)とは、「まつりのにわ」という意味です。そして、大嘗祭とは、新天皇が即位後最初に行われる新嘗祭の事です。それを行う場所を、霊畤と言います。
大嘗祭、新嘗祭共、今年の新穀・新酒をもって先祖の神々をお祀りするという意味においては同じですが、大嘗祭は、皇位継承と重大な意義を持っていて、大嘗祭が行われて始めて皇位継承の名実共に備わるといわれ、御一代御一度の極めて重大な式典であります。
初代天皇の神武天皇が国家平定の基盤を造られ、橿原市に於いて初代天皇として即位された折、大嘗祭が桜井市で行われました。すなわち、大嘗祭が日本で最初に行われた場所が鳥見山(とみやま)山中の鳥見の霊畤(とみのれいじ)なのです。
これは、一般的な普通の歴史上の遺跡などとは一寸違っていて、国家形成の意義からも実に重大な発祥の史跡であるといわれています。今から50年位前、橿原市で紀元2600年祭が行われた際、我が町の鳥見山が、霊畤伝承地としての国家の認証を受けています。
保田與重郎氏は、「鳥見山がこの聖蹟に指定せられたのは、中古以来も山中の数々の祭祀遺蹟の証があったのである。大和平野の中での独立の山としては、大和三山と鳥見山の他にはない。天つ神を祭る場所は独立の山といふ習俗例はあった」と記されています。また、鳥見山の麓には、鳥見山麓遺跡が広がっており、「わがまち桜井」年表には、鳥見山麓遺跡は、縄文時代後期と記されています。
地図看板
鳥見山霊畤石碑 桜井市桜井にある、等彌神社の境内に鳥見山霊畤の碑が建立されています。ここから鳥見山に入山できますが、霊畤は、その頂上にあります。
霊畤拝所 入山して、しばらく登ると、階段が見えてきます。階段を登ると、霊畤拝所の碑があります。頂上までは、まだまだです。
句碑 拝所の碑があった場所からさらに登ります。道は、もう、ほとんど人一人が歩ける幅しかなく、傾斜もきつくなり、どこまで続くのだろうと思いながら、ただひたすら変わり映えのしない景色の中を登ります。すると、一段と急な上り坂に出くわします。息を整え登ると、頂上らしき狭い広場に出ます。そこに大きな句碑があります。でもこの場所は霊畤では、ありませんでした。今までの道のりを思うと、一瞬、行こうか、戻ろうかと迷ってしまいますが、諦めずに進みます。
白庭の碑 石碑のあった場所からは、鳥見山の頂上辺りの尾根づたいにしばらく歩きます。又、一段と急な上り坂です。でもこの辺りまで来ると、急な上り坂の上には何かある!と気づくので、そう苦にはならずに登りきります。すると、『白庭』と彫られた石碑があります。まだ、霊畤ではありません。後、もう少しです。



白庭について
霊畤の碑 『白庭』の石碑のあった場所からは、そんなに距離はありませんでした。ついに霊畤です。そこは、やっぱり一段高い場所で、今までに見た石碑のあるどの広場よりも広い場所でした。直径10mくらいでしょうか、円形をした広場にその碑は建っていました。この場所でその昔、行われたであろう祀り事に想いを馳せながら、しばらくの間じっと立っていました。区民の皆様には今一度、歴史の根源にたちかえり、この土地のすばらしさを再認識して頂く機会になったのなら幸いです。


鳥見山は独立峰で四方より登山道があり、散策気分で気軽に登れ、特に山頂からの展望は素晴らしく、四季を通して満喫できます。
また、古代より神と交わる聖地であると言われており、登山者はここで、ご自分の願いを大きな声で発してみて下さい。もしかすると、『大きなお力』をいただき、その願いが叶えられるかもしれませんっ!!