頭の楽健法 

      子松  志乃子
 
宥厳先生から課題を頂いて、何を書いたら良いのかハタと頭を抱えてしまいました。頭を抱えた理由が「メタフィジカル」という、普段使い慣れていない言葉に 引っかかってしまったからだと気づきました。というより普段からどんな風に考えて楽健法をやって来たのかと、自分に問いかけてみた。
 
楽健法は「楽で楽しい健康法」と教わりました。なぜ今まで続いたのかと言えば心地よいから。踏まれるのは大好きだし、踏ませて貰って喜ばれると嬉しいし、今まで気づかなかった領域に気付き、アプローチできるからという単純な喜びからです。
 
踏み始めた頃、踏むのが楽しくて楽しくて、もっともっと上手に踏みたくて、ツボや経絡を勉強し始めたら、宥厳先生に「生兵法はケガの元。余分なことはしなくてよろしい」と言われたこともよく覚えています。
 
身体の仕組みを知り命について学ぶ。そしてその後ろにある生身の生活を想像してみる。凝りや痛みの原因を探る時のワクワク感や驚き。それに対応する自分の 心に気付くという感動。何より踏んで踏まれての役割を交換してみると、相手をリスペクトせずに楽健法は成り立たないのではないかと思うようになった。お互 いを大事にしあうからこそ、身体が解れ、心が解れ幸せ感に包まれるようになります。
 
楽健法を始めた頃「楽健法は一人では出来ないのが残念です」と言いましたら、宥厳先生はにこっと笑って「一人で出来ないからこそ良いんです」とおっしゃっいました。一見ネガティブに見えるものを逆手にとって、ポジティブに考え対応する発想に思わず唸ったものでした。
 
相手がいるからこそ学ばせて貰えることへの感謝と、この身体を委ねられる信頼感、任せられたからには大事に対応させて頂くことの責任感。わが身の至らなさ にどれだけ悩んだか分かりませんが、最後はこの場にいられることへの感謝と、お互いの幸せを祈ることではないでしょうか。楽健法と天然酵母パンにに出会え てよかったとつくづく思います。お陰でたくさんの方々に出会えたし、相手の立場に立って物事を考えるようになりました。宥厳先生や出会った仲間から学んだ ことを、周りに伝えていく役割が自分のスワダルマ(使命)と思っています。ありがとうございます。