頭の楽健法

  宮井 三千代


「美しく生きる」
 楽健法に出合って3年が過ぎた。
 1年目は毎月の宥厳先生の講習と奈良教室に通い、2年目はセラピストコースに通った。先生の楽健法のお話を胸に刻み通ったセラピストコースでは、たくさんの先輩方との出会いがあり、楽健法の意識がぐんと高まった。
 「もっと芯をとらえたい」「ローリングが上手くなりたい」など主に技術面のことだがセラピストコースに通ったからこその思いが芽生えた。
 セラピストコースに行ったからといって経験も浅く、人を指導するには程遠いが、楽健法の良さを人に伝えることは出来る。そのためにもたくさんの人を踏み、先輩方に学び、もっと技術面を向上させていきたい。
 3年目の昨年の夏より地元の木津川市で友と2人で「きづがわ踏みあい会」を開いている。初心者の方を教えるのはまだ力不足かと思い、一応経験 者の方に声をかけている。午前中は踏みあいをし、楽健パンのランチを食べ、よもやま話に花を咲かせる、というゆるりとした会だ。
 身体を緩め、胃袋を満たし、おしゃべりで胸のつかえをとり心を浄化させるなんて、この3点セットは最高だ。帰られるとき、身体が軽くなった、美味しかった、楽しかった、といって頂けるのが私たち2人にとっての喜びだ。
 
 楽健法の講習の初日に私は短歌にも初めて出合った。
 「短歌を詠んでみませんか?」の先生の一言は、初めての楽健法に緊張していたにも関わらず私の胸にすーと入り込んだ。そこからとんとん拍子に話が進み、今「どうだん」という短歌社に入り、2ヶ月に1度歌を10首提出している。
 歌を詠むことは自分を知ることだと思う。自分のこと、周りの物や事、自然を自分の目を通して見て自分の言葉にするので、自分はこういう風に思っていたのか、とか言葉を知らんなあ、とか自分を振り返ったり、思ってもみない自分に出逢うこともある。
  それと、歌を詠もうとしてから色んなことをしっかり見ようとするからか視界がはっきりしてきたように思う。それは目に見えるもの、見えないものに関わら ず、言葉にするということは感じたことを一旦自分の中にとりこんで咀嚼して出すので、その間自分を客観視することになるのかも知れない。自分を客観視する ことの大事さを、1年間の講習でお話くださった先生の言葉を折にふれ思い出している。
 今私は今までの自分の暮らしの中に新たに楽健法と短歌を加えた。これからも困難なことやめげそうになることは起こるだろう。でもその度に蘇ればいい。自分の暮らしは自分でしか作れない。 自分の暮らしを豊かなものにしようと努力することは美しいと思う。
  私は美しく生きたい。