頭の楽健法

     吉永 真由美

 課題の文章を読んで
 自分の中から出てきた言葉です。

この世に産まれているはずなのに
この世に足をつけて体験できないのは
私が一旦、心を完全に閉じてしまったからなんだと今ならわかる。

完全な静けさから出るのがあまりにも不愉快だったから。

心を完全に閉じたら他の機能が際立って開いたようだ。

私の場合は皮膚や鼻が開いているようだ。

皮膚から人の痛み、悲しみが香りのように入ってくる。疲れも入ってくる。

それらを感じて、この世はなんて苦しいんだと絶望する。

喜びも入ってくる。
そして喜びに感激する。

喜びや幸せな感覚や悲しみや怒りを受け入れる練習をしたら大分心を開けるようになってきた。
感情とはなんという激しい振動だろう。


時々FBに投稿できるようになったが、喉を開いた途端その後は心がびっくりして閉じていく。
大きく開くと、その分長く閉じてしまうのはまだ慣れないのだろう。

私の場合は喉を開くと(いいたい事を言うと)お腹の調子がよくなったりする。

身体は使える部分を余す所なく存分に使う事で心身が健やかに機能するようにできているんだろう。

自分には
身体なんていつか朽ちてしまうから

どうでもいい。
解放されたいと思っている節がある。

でもそれは死ぬ時に自動的に起こるので今、考えなくてもよい。

死ぬ時までは
この自分を存分に活かして、いかに幸せに生きるかなんだなあという所に今ようやくたどり着いたようだ。

実は快楽主義な部分もある。
太陽の光を感動して味わい、
空気も美味しく吸い、リンゴを食べてはその味に驚き、快楽主義なだけに悲しみに出会うと心底悲しい。
生きてるだけで苦しくて楽しい。


どの瞬間をとっても当たり前ではない。
いつも驚いている。

赤ちゃんもけっこういつも驚いていると思う。



相手の加減を聞きながら踏んだり、踏まれたりする楽健法。 
初めて踏まれた時、新しく産まれたような気持ちになった。

コミュニケーションが難しい自分だが人が嫌いなわけではない。
踏んで踏まれると
その人が振動として伝わってくる。

その時に魔法が起きているんだと思う。

この面白い魔法のダンスを人に伝えたい。

何も言わずにテレパシーで伝わってほしいが、
全部はそうもいかないようだ。

脳も声もハートも使って、
胃に薪をくべて、丹田もしっかりさせて、根源と繋がって、大地に立って、人とダンスを踊ろう。