頭の楽健法 


「響きの世界」  西澤 真由美

 私は、「がらんどうは歌う」という山内宥厳先生の自作自演の一人芝居と、東光寺で行われる般若心経の読経に合わせて即興でピアノを弾かせていただいてきました。
「がらんどうになりなさい(自由に弾きなさい)」との先生の言葉は私の人生において新たなピアノ演奏法を提案してくれました。
初めの頃は、芝居の脚本を手にして、「このシーンにはどの音楽を入れようか? この旋律の一部を持ってきたら効果的かな?」などと考えていました。
でも、演奏が終わった後はいつも「全く上手く弾けなかった〜、予定通りに行かなかった〜」と嘆きばかり。
「頭で音を作るのではなく、身体が知っているのだから、それに任せなさい。」
「上手い下手は気にしないで自由に弾きなさい」
「体解しなさい」
「がらんどうになりなさい」
と山内先生の言葉ですが、そうする事がとても難しかったのです、あの頃の私にとっては。

 今まで自分が練習してきたクラシックのテクニックがたくさん溜まった玉手箱があるとします。その玉手箱の上には素晴らしい「響き」の世界が存在します。
何も考えず自由に弾くということは、その玉手箱(楽譜やテクニック)を飛び越え、あるいは無視していきなり「響き」の世界に行くこと。
でも、クラシックで鍛えられ頭デッカチの私はなかなかそこへ行けませんでした。
諦めかけたある日、私は子どもの頃はピアノを無心に自由にとても楽しく弾いていた事を思い出しました。
 その時、私の玉手箱の蓋が開いたのです。
 玉手箱から飛び出した一音、一音を奏でたら、その音から繋いで弾く、あとは指任せ、指が動くままに自由に弾いていく。
 響きが風に乗って、さーっと心地良く広がっていく。
 その時そこから、変わったと思うのです、私の演奏法は。何者にも縛られず感じるままに自由自在な響きそのものになれました。

 今は「がらんどうは歌う」の一人芝居の中で、また、般若心経の読経の中で自由に弾きながら、「響き」の世界に入っていくことが楽しいです。

 楽健法にも音楽と同じ「響き」があります。
 ピアノは指で、キーの底までタッチしないと響きは生まれません。
 楽健法をする時も同じで、足で相手の深いところまで、地球の中心まで届くように「トーン」と踏むと、その跳ね返りは「響き」となって身体中に広がって行く心地良さを感じます。
 足で一踏みする毎に一音ずつ奏でて、それを繋いで旋律が生まれる。そう感じながら踏んでいます。
ピアノタッチと同じように。

 人と触れ合う事で生まれる楽健法の「響き」と、音楽が奏でる「響き」は波動となって人の心の中に入っていく力を持っています。
 苦しみや悲しみの中にいる人に、時には勇気を奮い立たせ、心に安らぎを与えてくれます。そしてその心と身体は「生きよう」とする人のベースになっていきます。
 そこに足踏みだけでは終わらない楽健法の魅力と奥深さとがあると思います。
 私はこの素晴らしい楽健法を踏んで踏まれて踏み続けていきたいと思います。
 そして、楽健法で音楽のようにそっと人々に寄り添う存在でありたいと思うのです。
 楽健法に感謝して。