「頭の楽健法」

        藤井 こずえ
 
 私は、数年前28年間勤めていた役所を辞め、 自宅で楽健法を主に取り入れたおうちサロン をしています。勤め人という枠を外したことで、 とても自由な生活を送っています。今は、息をしているのがとても幸せです。 自由な生活を意図的にしています。
 自由って何 だってことですが、自分が自由と思うことをし てみたらどうなるか?と、いう感じです。自由 という加減は、人それぞれで自堕落な生活を自 由とする人も、ある程度の縛りがあった方が自 由と感じる人もいると思います。結局は、自分 がどう思うかにあるのだと実感しています。

 実感という感情は、とても一言では表せず、言 葉に現したり表現することは不可能で、無意味 で、難しいと思ったり、でも何らかの形で表現 してみたいとも思い過ごしています。 私が、自由と思うことは、青空を眺める時、庭 に鳥が来ているのを見つけた時、朝起きてベッ ドからボーッと朝日を眺めたり、ベッドメーキ ングをしたり、うちの掃除をしているうちにど んどん心が整うことだったり、朝ごはんに昨日 買ったアンドーナツには、ルイボスティーにミ ルクをいれるか、はたまた、コーヒーにミルク を入れるか割と真剣に悩んでたみたり、少しの ご飯から大量のおかゆが出来たりして、それを 味わって食べたり、とにかく自分のペースでい ることが出来ることに自由で幸せを感じます。
 
 あげればきりがなく、そもそも息をしている ことや手足が動くことが幸せで仕方がないの です。  さて、私、自称自由人の楽しみのひとつにア マゾンプライムでの映画やドラマ鑑賞がありま す。映画の尺でのストーリーも良いが、連続し た11回くらいのテレビドラマを2、3日で一気 に観てしまいます。最終回の頃には、すっかり 主人公に感情移入したり、終わったことで寂し さを感じたりします。

 昔は、ドラマをみるにしても自分が主人公なら、とか思いながらいまし たが、最近は脇役の人や作りあげた人たちにたいしたもんだ、、と、感心したり有り難く感 じいりながら見ています。 先日、共感したのが『レンタルなんもしない 人』というドラマです。内容は、会社で馴染 めなかった主人公が仕事を辞めて、ツイッタ ーで自分をレンタルしますと募集します。 すると「花見の場所をおさえて欲しい」「自 分の話を聞いてほしい」「役所の手続きに ついてきてほしい」などの依頼を受けます。

 なんもしないことが得意なので、自分のなんもしないさじ加減でなんもしないことをします。ストーリーでは、会社に勤めてなくては いけない。生産性がなければいけないという 従来の思い込みの枠を外してくれます。 ただいてもらうだけ、話を聞いてもらうだけ で救われる人が沢山いて、何もしないことが 充分役に立つのです。なんもしない人ひとは、 周りからどう思われているのか、本当は怖い のですが、自分の出来ること社会の常識とを 区別していきます。そして、その社会の常織 (自分と違う考え)もよしとします。自分 と違う考えの人を変えようとしませんが、自分以外の常識にも合わせません。 いろいろ意見(生き方)があるということを 知ること、批判しないということ。自分のペースで寄り添うことが出来ることも自由で 幸せなスタンスだと思いました。 

 どこまで、自分を持ち行動するか、さじ加 減が生き方であり、目にみえる体の部分、見えない体の部分に現れるのだと思います。 レンタル何もしない人は、なんもしない事をしますが、私たちは楽健法というツールを持 っています。実際に踏み合うことで、お互い が寄り添うこと、違うことが分かり合えます。 それぞれの人にそれぞれの幸せがあるのだと 思います。

 体に巡りが出来ることで、視野が広がります。 自分を感じること、人とは違うことまた、同 じ部分をみることが出来ます。 なんもしない人と同じように自分を大切にし、 楽健法で、人と関わることが出来るように思 ったのです。自分を大事にしていくことで他 の人も大事に出来ること幸せです。

 明日からも生活を大切にしながら、慌てずお おらかに幸せに楽健法を続けていこうと思い ます。自由な生活を続けていくことで、私だ けのアートが出来るように思います。  宥厳先生の文章を読みながら、最近の私の 生活に当てはめて感じたことを自由に書かせ ていただきました。長文失礼いたしました。