頭の楽健法

市野 寿子

文学青年◯哲学者◯
宥厳先生から今回のお題をいただき久々に頭をひねり、今思うことを書いてみます。

楽健法を知り15年近くになります。
今月の合宿前、二日酔いで体調を崩し何も食べれずが続き体の中がクリアになったからか、今回の合宿は今までに無い感覚が多々ありました。

フィジカルとは、を調べると
『肉体的、身体的』

メタフィジカルは『形而上』
形のないもの、形を超えたもの、精神的なもの。
「形のないもの」とは
例えば、「人の気持ちや心」

・崇高さ:気高く尊いこと
・希求:願い求めること

昨年10年ぶりにセラピスト合宿に参加し、技術のみではない楽健法に目を向けるようになりました。

心と体は繋がっていて、どちらへもアプローチ出来る楽健法。
踏まれてみると、自分の状態が自覚出来、踏んでみると、相手の状態はもちろん、自分の調子もわかる。
その中で、2人一緒に作りあげる共同創造時間(空間)。
いかにその人の状態を瞬時に感じとり踏めるか、踏んでいるかの世界。
心には邪魔をせず寄り添い、だけれど身体的には攻めるような…SMの境地だろうか。

踏みながら掛け合いし、ただただ相手と一体になる(なっている)感覚が得られる不思議な楽健法。

頭で考え踏むと、足からそれは伝わり、任せられる境地にはいけない。
逆にいえば、任せていたら、楽に踏めるような。
まだその辺りを模索している。

宥厳先生との踏み合いは、まさしくそんな感じだった。

楽健法の本の踏み合いの図、丸裸◯◯
隠しても丸わかり、逆に探し出してもらえるという信頼感。

食事や作務、勤行
至るところで、五感磨きをしているようだ。

健康おたく歴20年を超え、1番長くやっているのが楽健法。
いろいろやってきたが、寝る前に何してほしい?と聞かれたら、「踏んでほしい」

大人になると子供の頃のように無邪気ではいられないという今の世の中。
人間には触れたい触れられたい願望が死ぬまであると思う。
まぐわいはどこでも誰とでも♡という訳にはいかないが、もしかしたら楽健法はそれに近い感覚があるのかもしれない。

フィジカルな楽健法を通して、メタフィジカルな魂も成長し、と同時に心も身体も自立して巣立っていくような…

私にとってその場所が東光寺かもしれない。