多武峰と万葉
多武峰を歌った歌は、昔から多くあり、多武峰には4つの万葉歌碑があります。
多武峰に上ってくる街道沿いにも、いくつもの
万葉歌碑があり、そのひとつひとつに万葉人の心があらわれています。
東門のすぐ前にある女人禁制の石柱

談山神社境内にある遠藤周作先生の書による万葉歌碑
談山神社境内にある遠藤周作先生の書による万葉歌碑
吾はもや 安見児得たり 皆人の 得かてにすといふ 安見児得たり 作者 藤原鎌足 巻2〜95
(私は安見児を手に入れたよ 皆が手に入れることは出来ないという安見児を手に入れたよ) 安見児とは、後宮下級女官の采女(うねめ)のことで、地方豪族の女(むすめ)を貢進(こうしん)、天皇に近侍して、主としてその食膳に奉仕した女性のことらしい。この女性を天智天皇から下賜された鎌足の喜びようは大変なものであったことがこの歌からわかります。
東門の近くにある山岡荘八先生の書による万葉歌碑
東門の近くにある山岡荘八先生の書による万葉歌碑
久方の 天ゆく月を 網にさし わが大君は きぬがさにせり (巻3〜240) 作者 柿本人麿
(私がお仕えしている皇子のご威光は盛んなものだ。空を渡る月を網に通して、お側の人に引かせながら、天蓋にしていらっしゃる)
不動滝のすぐそばにある湯川秀樹先生の書による万葉歌碑
不動滝のすぐそばにある湯川秀樹先生の書による万葉歌碑
梯立の 倉橋山を 嶮しみと 岩かきかねて 吾が手とらすも 梯立の 倉橋山は 嶮しけど 妹とのぼれば 嶮しくもあらず (古事記)
倉橋山は険しくて(女鳥王は)岩にすがりついて登ることがかなわず、私の手を取って踏み越えてくることよ。
倉橋山は険しいけれど、愛する女鳥王と二人で登れば、何の険しいことがあるものか。
仁徳天皇が皇太子であったとき、異母妹の女鳥王に求愛しましたが、女鳥王は異母弟の速総別王と仲の良いことがわかり、怒った仁徳天皇は二人に追っ手を差し向けました。ふたりは手に手を取って倉橋山に逃れていき、嶮しい山を越えて曽爾村に着いたところで、捕らえられて、処刑されたと伝えられます。
談山神社駐車場にある犬養孝先生書による万葉歌碑
談山神社駐車場にある犬養孝先生書による万葉歌碑
うち手折り 多武の山霧 しげみかも 細川の瀬に 波の騒げる (巻9-1704) 作者 柿本人麿
明日香村の細川から多武峰を眺めた歌
(愛するあなたの居る)多武峰の山に霧が一杯たっているから、多武峰から流れ下る(この私が居る)細川に水かさが増して、その浅瀬に波が騒いでいることよ
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